コンクール考察

音楽は、スポーツとは違う。感性の世界だから当然、絶対的な評価は無理でしょう。料理、や美術と同じ様に。オリンピックの新体操にも共通した、難しさが見られます。言ってしまえば好きか嫌いの世界です。しかし、何とか、公平に審査したいと考えているのは、どこの主催者も共通の問題です。

理想を言えば、音だけを聞いて審査する。演奏者の名も伏せてステージに薄い、カーテンを引いて演奏して頂きます。何故って、顔が見えては名前を伏せても、第一シード者は判明してしまいますし人情も入ってしまいます。くじ引きで演奏順番の番号を各自引いて、最終結果が出るまで、一切、名前は明かさない。従って当日は
聴衆等の外部との接触は出来ない様にして頂きます。

顔も見えず、老若男女も分からなければ少なくとも、先入観なしの審査は可能でしょう。
しかし、純粋な音が聞けないとか、ステージ芸術は総合表現芸術だと言って、反対する方が出て実現は難しいでしょう。昔、ショパンだってリストの計らいでリストと成りすまして暗いサロンで顔を見せず演奏し、喝采の後、照明をともし、ショパンと名乗り正しい名声を得たとの逸話ありましたね。

また、良く、最高点、最低点カットというアイデアもありますが、(審査員が頭が切れれば、)自分の相対評価が有効になる様、な範囲で操作すれば、同じことなのです。わかりやすく言えば、幼稚に応援したい奏者に90点などと喜んでつけず、自分の採点最高点70点を設定し、、妨害したい奏者に採点最低点60点をつければ、カットされる可能性は少なく、目的達成できるわけです。まあ、ここまで、工作する方はいないと思いますが。

では切り札は?審査員の質にかかっているのです。

スポーツはどんなに、フォームが邪道であろうと、醜かろうと、得点
あるいはポイントで明確に優劣がつくのです。抽象的な感性の世界、ましてや瞬間芸術たる音楽は、よほど、その道に長けた人でなければならないはずです。

ギターの名器を本当に鳴らせた響きの違いは、きちんと勉強した、ギタリスト以外には判断しにくいのです。
我々だって、例えばストラリバリの違いは知っていても明確には分かりませんよね?


採点の細分化。音色、音量、技術、音楽性、
ステージ存在感。印象。これだけの項目を細分化して各項目別個に何点として採点すれば、少しは好き嫌いだけで審査する事は無くなると思うのですが。


コンクールからギターの未来への発展を祈りましょう。


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