天国ブラジル
この記事は1990年代の体験記で物価等はかなり、現代と異なるとご理解ください。
見つめれば、アイ・ラブ・ユー
感動はキスの嵐
グルメ
ブラジル中流事情
朝、昼、そして深夜。街角は常に懐かしい
カフェの香りが漂い、人々のざわめきと笑い、そして貧しい楽士のバッテリーア(太鼓)が
遠慮など無縁のごとく、鳴り響く。
貧困など慣れきったように陽気な人々。
今を楽しまずしていつ楽しむのか。problema難題は明日考えよう。海と岩山に囲まれたブラジルの象徴とも言える永遠の楽園。海抜710メートルのコルコヴァードの丘にそびえる30メートルの長身のキリスト像、、、イエスは今なお、白い弧を描く海岸線と乱立するビルの谷間を見下ろし永遠の『アイ・ラブ・ユー』を世界に投げかけている。
街並みのいたるところで、恋人たちのbeijoキスの嵐。信号待ち。バス停。メトロ。レストラン。彼らは場所を選ばない。「誰も君の相手を取りはしないよ。」と、ついつぶやいてしまう。
カフェテラスで一人で、気取って、「Que linda!
なんて、美人なの」なんて日本のつもりで見とれて、目が合ったりしたら、もう大変。彼女は即、隣にニコヤカニ座ってきて、お友達になってしまう。ここでは、言葉は要らない。見つめる事は、アイ・ラブ・ユーなのだ。もし彼女が同じ思いで独りだったら。ブラジルの熱い風だ。でも、もしカップルの連れ合いを見とれたりしたら、別の意味で大変。一発パンチをもらう事も有る様です。
くれぐれも、気をつけてね。これは逆のケースも同じ事です。ただ日本の女性が彼らを見つめたりしたら執拗に迫られること間違いなし。
ブラジルの男性は大和撫子が憧れなのです。僕は彼らに「どうして、日本の女の子と結婚しないの?」なんて、度々きかれました。
この件は次の機会に。
レストラン、ホテル等そして安酒場にいたるまでのボーイさんの接客態度は好感度200%。サラダはもとより、パスタ、肉など専属の給仕の
様に盛り付けてくれます。それも、食べれる量をまず入れ、なくなりそうになると、サッと、呼びもしないのに、またよそってくれます。飲み物も同様。日本的に「すいませーん」なんて、頼むことまず有りません。
これならチップもあげたくなるのも当然。更に料理は一人前で日本人なら二人分は十分でしょう。choppiビールも軽くて,グー。デザートでは例えば、プリンなどハンバーガーサイズ。食べ物は安い。シュラスコ・(ブラジル式バーベキュー)にいたっては常に焼き立ての肉のブロックをテーブルまで大きな1メートル程の串ごと持ってきて、目の前で好きなだけ切ってくれます。この肉が何種類も有るのです。初めて僕が食べた思い出は、(領事館の接待を受けていたのですが)Acabo終わりの札を出すまでどんどん来るシステムを知らず、失礼が有っては、いけないと思い拷問のような感覚で必死に食べたものでした。この日はダブルブッキングで同じ夜に二度シュラスコ、を頂いたのでした。この夜は胸焼け地獄でした。
ブラジルで初めて演奏会をした時の事です。
最後の演目で自作のラメントを無事ひき終えました。聴衆は熱狂的に受け入れて下さり、僕も上機嫌で投げキスで挨拶をしていました。
その時、独りのご婦人がステージにサーと寄ってきて手を差し伸べられるので、ステージから、ひざを折る形で握手で答えました。その時ご婦人の手は信じられない力で僕を引き寄せ、口にブチュ―と熱いキスを
頂いた?のです。すると連鎖反応で多くのファンが駈け寄りキスの嵐。若いギャルもいれば、お婆さんもいたっけ。
片手にフレタを携えてなすがまま、どうする事も出来ません。
「こんなの有り?」なんて自問しながら、落ちないように頑張ったのでした。「流石!ラテン。はまるとすごいわ。」
ブラジルの家庭事情 こちらの、主婦は日本とはかなり違います。
まず、日本的中流家庭は、必ずお手伝いさんが居ます。掃除を担当するファッシネイラ、料理担当のコジニェイラ、子守りのババー、そして庭師のジャルジネイロ、プール管理のピッシネイロといったところです。
金持ちは10人くらいは使用人を家に抱えています。
一般の庶民でもファシネイラはかならずいます。
何故なら彼らの賃金は異常に安いのです。
大体一人、住み込み食事付き一ヶ月300ドルと言ったところ。日本じゃだれもそんな安サラリーじゃ,やってくれませんね。しかし、法律で、ボーナスと有給休暇が保証されています。貧富の差の激しい国。
三食とべットと給料が有れば天国と言う人々もいるのです。
超金持ちに至っては、部屋の中からトンネル式の滑り台で大プールに直結する家を建てたり、ヘリコプターで通勤したりと。桁が違います。
子供は無免許で、ナンバープレートのついていない、ヤマハのバイクなんか、おもちゃにしています。警察は何、やってんでしょう。
ですから、初めて、妻エダイル(イタリア系ブラジル人)に演奏会前夜に靴を磨いてくれと、頼んだところ、「なんて野蛮な亭主だ」と実家に泣いて電話をされたものでした。幸い現在は文化の相互理解も進み日本的によくやってくれています。