20世紀最後の巨匠アベル・カルレヴァーロ
5月私の演奏旅行の合間にマエストロを訪ねた。その時点、全くお元気だった。時を待たずして近況レポートが、追悼記事になるとは夢にも思わなかった。

GGより翻訳された、「ギター演奏法の原理」を届けると、孫を見るような優しいまなざしで手にとり、「素晴らしい」と満足されていた。
来年、サンパウロで日本人を対象とした、マスタークラスとコンサートの企画を進めていた矢先だけになおさら衝撃は大きかった。

マエストロ・カルレヴァーロは、高齢にもかかわらず、独自考案のカルレヴァーロ・ギター〈音量増大の為サウンド・ホールを持たないギター)を携え、常に愛妻を伴い講習会、演奏会と世界中を精力的にいつも笑顔でその命の燃え尽きるまで活動していたのだった。

7月14日モンテビデオを出発し、17日ベルリンで他界。22日から29日まで
マスタークラス20,21,29とリサイタルが組まれていた。

今年、2001年の4月1日のポーランドにおけるリサイタルが最後の演奏会となってしまった。
プロは以下のとおり。
各世紀に渡る変奏曲(テデスコ)。マジョルカ、朱色の塔(アルベニス)。
練習曲第4,5,6,10番(ヴィラ・ロボス)。

12のエチュード、2つのカデンツア、ミロンガ組曲、
ヴィラ・ロボス賛歌。(以上総てカルレヴァーロ)。

私とマエストロの出逢いは97、サンパウロの講習会と演奏会だった。
当時私の門下で製作家のジョゼ・バハデハマ共々、親しく多くの助言を頂いた。
また、ジョゼ自作のギターも非常に高く評価されて、製作上の更なる多くのアイデアを与え暖かく励ましていらっしゃった。
演奏では当時81歳とは思えぬ、微塵の妥協も許さないコントロールされた、テクニックと、叙情的表現力に感動を覚えた。自作品は当然ながら、ヴィラ・ロボスのエチュードを楽々と、そしてダイナミックに超快速で弾き切ったのには、感嘆を超えて驚異だった。

レッスンでは、常に穏やかで思いやりと気配りを忘れず、人格的にも巨匠に相応しいマエストロであった。

短時間では有ったが最後の面会となってしまった、彼の熱いメッセージを敬意と追悼の念を持って記してみたい。
今回はGG新刊の書籍を届ける、ご挨拶の趣旨でお訪問した為、記事としては物足りないかもしれないが御理解頂きたい。
以下は総てマエストロが語った内容をダイレクトにお伝えする。

♪経歴を教えてください。

アベル・カルレヴァーロ(以下C)私は1916年12月16日ウルグアイのモンビデオに生まれました。(今まで1918年と言われていた。1916年が正しい)
7歳より、ペドロ・ヴィットーネにギターの手ほどきを受けましたが、数年にして、師を超えてしまいました。
ペドロ先生は正直な方で「もう、教える事はない」と言ってくれたのです。それからは、ギターは独学の状態でした。あえて師を持たなかった事が、私の個性を発展させたのだと思います。

思いで深いのは15歳の時、初めてオーデイションを受けた時のこと。大変、あがって放心状態になってしまいました。
すると劇場の支配人がかつての巨匠アントニオ・ファンホンの使っていた、皮製の足台を貸してくれたのです。
それに足をのせると、魔法の様に落ちつきました。おかげで旨く試験はパスできたのです。アントニオの魂が味方してくれたのだと思いました。
また、1937年4月25日、ウルグアイギター協会発足記念演奏会に出演。ソルの練習曲Em,バリオスの蜜蜂を演奏しました。
独学状態になってから、ギターのジレンマを克服すべく合理的な奏法原理を探りはじめました。一般的に、いけないと教えられている奏法も何故と考えなおしてみたのです。

♪ アントニオ・ファンホンとは盲目の巨匠の事ですか?
(C)そうです、1904年頃モンテビデオにやって来ました。彼はバッハを編曲して演奏しました。
セゴビアがまだ現れる以前の時代です。批評家たちは、「ギターでバッハとは?お笑いだ!」と猛烈に批判したのです。
私は優れた芸術家だと思います。批評家とはいつの時代もそんな、ものです。
南米大陸は歴史的に過去、スペイン、ポルトガルの植民地支配下にあり、多くの分化的影響を受けました。
同様にギターも当然スペイン的伝統を欠点も含めて総て継承したのです。私ににとって、その非合理的な欠点も併せ持つスペイン奏法は、
無条件に継承する事は出来なかったのです。もっとも、分かりやすい例は左手のノイズを平然と伴う前近代の奏法。音楽を純粋に愛すればこそ、それだけ音楽以外のノイズ、身体的ストレス等、いかに解決するか?常に試行錯誤の中、考え続けたのです。
ギターの構え方(何故、体に平行に構えるのか?)、右手のタッチ、腕を意識的に利用する事、等。極力、身体にストレスを与えない、自然体の発想からこころみたのです。
30歳の頃独自の奏法原理を確立しました。

♪セゴビアとの出逢いについて。
C.私はギターを人生の伴侶と受け入れながらも、南米という国政も手伝い、経済的自立の為農業技術者の道を当初、志していました。
しかし、運命の神は私の元にアンドレス・セゴビアという世紀の天才を遣わしたのです。約10年間モンテビデオに滞在したセゴビアから多くの影響を受けました。
セゴビアの励ましのもと農業技術を断念して、音楽家、ギタリストとして自立する決心をしました。セゴビアは実の兄の様に毎日会って、励まし、教えてくれました。
ただ、私はセゴビアの弟子とは考えていません。
兄弟分、あるいは、ライヴァルと言う意識が多分にありました。ただし、セゴビアとの出逢いが有ったからこそ今日の私、音楽家カルレヴァロは有るのです。神の恵みに感謝しています。

♪作曲は何時頃からはじめられたのですか?

(C)音楽家として自立した頃、モンテビデオ在のスペイン人オルガン奏者ホセ・モヒカのもとで、和声学を学びました。
その頃から習作も始めました。すぐに伝統的和声法則には特にギターにはそぐわない場合が多いと感じました。楽器の機能に即した作曲技法が有るはずだと思索を始めました。
その後ハンガリーの作曲家パブロ・コロムスに近代和声を習いまいた。その後独自の作曲技法を生み出す事となります。

私は奏法、作曲ともに、合理性と理論性を重んじています。音の芸術は生命と同様、生を受け、そして死の終焉を迎える。
音楽には、組織・構成思想・真理・存在感。それらのどれひとつ欠けてはいけない。既存形式に、こだわって作曲はしたく有りません。
誰が聞いてもカルレヴァーロと認識、出来る個性的作品を書くよう心がけています。
私の作曲には万華鏡のような幾何学的独自の論理的技法があるのです。これはとても短時間で説明出来ません。

♪好きな作曲家は?
(C)ヴィラ・ローボス。彼の作品は楽器の機能を熟知し、ヴィラロボスと認識出きる作風が有ります。
そう言った意味からこよなくビヴィラ・ロボスを敬愛しています。ビラ・ロボスの5つの前奏曲1942年12月11日のモンテビデオで私が世界初演したのです。

♪練習の秘訣は?

(C)演奏会の準備期間以外、あまり練習は必要としません。
「最小の努力で最大の効果を得る」それがカルレヴァーロ奏法の体系的テクニックの醍醐味なのです。そして何よりも運指をアナリーゼに即して決定する事が重要です。
曲の背後に有る概念を理解し、指以外の筋肉の動きさえをも、把握して総合的に仕上げれば確実に美しく仕上がるのです。

明らかに多忙極まりないマエストロ。私はマエストロの作品リスト等を受け取り、お礼を告げて早々に退散したのだった。

アベル・カルレヴァーロの賞暦を手元の資料から紹介させて頂く。

1985年  ヴェネズエラ政府及び、OEAアメリカ大陸音楽教協会より名誉賞。
1995年  Gabriel Mistral賞 (OEA国際文化協会)。
1996年  ギター学校新設の功績をたたえて、モンテビデオにカルレヴァロの記念碑設置。
1997年  ルーマニア大学芸術院名誉教授就任。
       ブラジル音楽家協議会名誉教授就任。
       ペルーのリマ国立音楽学校名誉教授就任。
1998年  アメリカギター協会より名誉賞受賞。

作品リスト

Preludos Americanos アメリカ風前奏曲 (出版・Barry/Argentina)
no.1 Evocacion
no.2 scherzino
no.3 Campo
no.4 Rond
no.5 Tamboriles

Cronomias T(Sonata)(出版・Barry/Argentina)
 1974/5/29 Teattre de la Ville de Paris ビレ・デ・パリス劇場にて本人により初演。
 ドイツにてホセ・フェルナンデス・バルデシオにより録音。

Cinco Estudios-Homenaje a H.Villa Lobos 5つの練習曲「ビラロボスを賛えて」(出版・Barry/Argentina)

序奏とカプリチオ(出版・Chanterelle/Heidelberg)

Arenguay (Duo concertante)(出版・Chanterelle/Heidelberg)

ギターとオーケストラの為の「プラタの協奏曲」(出版・Barry/Argentina)
1973年モンテビデオにおいて本人により初演。1983年カラカス国際ギターコンクール課題曲。

ギターと弦楽四重奏の為の五重奏曲(未出版)
1982年5月8日。サンフランシスコにおいて、Kronos弦楽四重奏団と作者により初演。

ギターと弦楽と打楽器の為の協奏風幻想曲(出版・Chanterelle/Heidelberg)
サンフランシスコ現代音楽協会依属作品。1985年4月22日モントリオールにて初演。

ギターとオーケストラの為の協奏曲第三番(未出版)
1989年5月1日にサンフランシスコにおいてサンフランシスコ交響楽団と本人により初演。

練習曲集 Microestudios(出版・Chanterelle/Heidelberg)
Vol.1-Vol.4(no.1-20)

Milonga Oriental (出版・Chanterelle/Heidelberg)

Aire de Vidarita (E.Coteroの主題による)(出版・Chanterelle/Heidelberg)

Concierto para guitar y clave (未出版)

Cadencias T,U,V (未出版)

ミロンガ組曲(未出版)

       
以上つたない文章で恐縮だが、カルレヴァーロの、芸術感、人柄など、はからずも「次世代への伝言」として、御解釈していただければ、天界のミューズとなられた、マエストロ・カルレヴァーロも優しく微笑んでくださると思います。

偉大なる音楽家マエストロ・カルレヴァーロに改めて心から感謝と敬意を込めて「合掌」

             2001.aug   中峰秀雄