地獄のブラジルこの記事は1994年頃の話です。20年一昔の話です。念の為
政府機関がマフィアだ
深夜、高級外車の女性一人運転を狙う犯罪
電話を引くのは至難の技
夏、雨が降れば帰れない。
私はブラジルに渡り、永住権を獲得し、(これが想像以上に難関でした)日本より楽譜、CD、日用品の荷物の到着を国際引越に依頼して待っていました。予定の三ヶ月を大幅に遅れ約半年後、到着の通知を受け当然、即、受け取るつもりでいました。すると現地担当者より電話がありました。「税関が賄賂を払わないと日本に返送すると言ってます。」
私はふざけるな!と、武士の意地で突っぱねました。
しかし、どの関係者も、みんなここでは外人は、同じ目に有っている、と言うのみです。何人かの弁護士に相談してみても、結局は
こじれて他方面での損失が大きいとの似たような助言。
何と理不尽な、自分の所有物を、それも生活用品を受け取るのに
、建前無税のはずが、裏で賄賂とは。到着後もう半年近く経ってしまった。楽譜、楽器等を、海辺の倉庫に、これ以上おかれては、たまった物ではない。フレタ、ギルバート、ベディキアンは苦労して
手荷物にしておいて不幸中の幸い。悔しい、ながらも、
??000ドル、支払う。
もちろん、裏金だから領収書も何もない。不安の中、
待つと、支払った翌日、早々にサントス港から自宅
アルファビレに到着。
ステレオのスピカーは腐食してもうだめ。靴もほとんど、かかと部分がえぐられている。麻薬か、それとも金でも有ると思ったのだろうか。洋服もだめだ。レーザーディスクも直ぐに壊れてしまった。
怒りがこみあげてくる。
どこにもぶつけようがない。愚痴をこぼす友達もいない。
この国での六年間、私は忍耐を体得した。
こんなのは序の口だ。出稼ぎ帰りの日系人が税関を通過すると
無線で空港外の仲間に知らせる。高速道路で職務質問よろしく
停止させ、苦労して持ち帰った金を奪い去る。発覚し、
免職処分の繰り返し。もちろん、
善良な警官も沢山、居るのです。
高級外車の女性一人運転を狙う犯罪が
97〜に横行した。
深夜、女性の一人運転の高級外車にねらいをつけて、後ろからまず追突。文句を言いに降りてきた所、
銃をつきつけ、外車にのりこみむ。銀行に行かせ,
キャシュカードで有るだけ引き出させる。
その後、殴られ開放。必ず複数で組んだ連携犯罪の
為、検問にもかからない。
このニュースが報道されると今度は「これは良い手だ。」とばかりに、それをコピーした犯罪が急増した。
ブラジル中の金持ち女性が恐怖におののいた。
当局は深夜は銀行の自動サービスを
停止に踏み切った。
これで一安心と思いきや、裏目にでた。
今度は銀行が作動するまで一晩中、暴行を加え、
挙げ句のはて金を奪うと言う手口に発展。
警察当局もメンツに掛けて、おとり捜査にでた。
女刑事が見事、おとり、となり犯人逮捕。ヒロインとして
テレビに頻繁に、登場。ここで終わらないのがブラジル。
半年後、ヒロインの彼女が逮捕された。
実はこの女刑事が犯罪組織のボスだったのだ。ダミーとして捕まった部下の内部告発だ。約束どうり、手下一味の家族を
手厚く世話しなかった事が発端となった。
これは、フィクションではないのです。
電話を引くのは至難の技
電話を買うのが、一苦労。まず仲介業者に申し込み、
指定の日時に電話局へ。そして延々と続く長蛇の順番待ちの行列に待つこと4時間。日本なら業者が代理で
並んでも良さそうなもの。こちらは売り主、買い手、業者のワンセットで並ぶのが常識。いらいらしながらやっと
窓口にて、受付開始。なんとこの時、初めてコンピューターでその電話に問題が無いかチェックします。
ここで問題が有れば全て白紙で時間の無駄となります。なんと私は三件目のトライでやっと商談成立。
無駄になった時は、業者に責任追求しました。
が、「私の責任ではない。気に入らなければ他で買え。」と日本
では想像もつかない返答を二回、体験しました。
しかし、電話なしではfaxはおろか、インターネットもつかえません。
じっと忍耐でやっと契約。「来週にはつながります。」の窓口の係りの言葉を信じ、待ちました。案の定、待てど暮らせどつながりません。
業者に掛け合っても責任転嫁、らちがあきません。
仕方なしに電話局へ苦情申請。
これが又、待ち時間4時間。忍の一字を胸にやっと窓口に辿りついた。「あなたの、地区は電話ケ−ブルが飽和状態で接続不可です。一年以上かかるでしょう。はい。次の人。」とつれない応答。「何故、売買の時にそれを伝えてくれなかったのか?」と詰め寄ると
「私はその時点では、あなたの担当では有りません。関係有りません。」。
怒鳴ったり、なだめたり(もちろんポルトガル語で)押し問答。
疲れ果てて、気が変になりながら、家路へ。
矛先を妻のエダに向け、さんざんブラジルを罵りました。
が、空しく泣けてくるのみ。
妻が、「ちょっと出かけてくる。」と、待つこと一時間。電話工事の技術屋を町で見つけて連れてきました。
「すみませんが、何とか電話つなげてもらえないかね。」精一杯、愛想良く、たずねました。
「セニョール。秘密はまもれますかい?」
「もちろん、とにかく君の力を貸してほしいんだ。」
ビールを飲ませながら、答えました。
技術屋「??000ドル程、いただけやすか?」
私「ちょっと、高いんじゃないの?」
技術屋「セニョール、内部の配線班、工事部、コンピュータ技師とみんなで分けるんでさ。なにしろ沢山の、順番待ちを飛ばしてセニョールに線をまわすんだから。それくらいは、、、、」
引越し荷物の例を思い出し、思い切って金を渡した。
すると工事用の電話を電話線に繋ぎ、本部に連絡を取る事20分。
技術屋「セニョール、明日つきます。夜中にアミーゴがコンピュータを操作して登録しますから。」そして翌日、
見事に通じた。
私「ケーブルが無かった、んじゃ、ないの?」
技術屋「もちろん、無いですよ。使用中の他人様の回線を切ってセニョールにまわしたんですよ。誰にも言わないでくださいよ。オブリガード。」とても嬉しそうに答えた。
技術屋「セニョール、電話局は信用出来ねえ。なんか有ったらいつでも、あっしに電話ください。もう心配は要らない。」
だからブラジルでは毎日、突然、電話が不通となり、
苦情の長蛇があとをたたない。みんな、コンピュータ上では抹消されているので,なすすべも無く、怒り疲れて帰るのだ。こうして見ると日本はなんと秩序正しい、良い国と思いませんか。間違ってもこういう事は100%ないもの。この国は文無しには地獄なのだ。
99~に入り、ついにブラジル庶民も怒り立ち上がった。
現在、電話局に対し500件以上の訴訟が起こされている。
その夜、何か勝利を得た様で、理不尽な出費を忘れて家族パーティーとなった。
日本の様に鉄道網が整備されていないブラジル。
事故が起きれば渋滞は常。ある日、教授の仕事にもやっと慣れ、家路を急いでいました。スコール、どしゃ降りが1時間程、続きました。日本的感覚では、さほど異常事態には感じません。何をもたもた、渋滞してんだろう?大型のトラックだけは前進している。私も路肩を使い
すいすいと、前進。徐々に「水が溜まってるな」、と感心しつつアクセルを、ふんでいました。おや?と思った瞬間、私の新車はプカプカと船の様に浮かんだかと思うと一気に「チエテ川」の濁流の中へ。
パニックです。このまま行けば死ぬな。と思うこと10分。どこからともなく、貧民街の子供たちがピラニアの様に車の回りに泳いできます。「何じゃ、これ・?」と日本語で考えていると
子供たち「セニョール、お金くれたら、たすけるよ。」
私「Claro.もちろん、もちろん、」大声でこたえた。
その日は校内演奏会があり結構、シックな服装での運転でした。金持ちに見えたのだろう。命には代えられない。すると、子供たちが一斉に車を押して、上手く下流からひきあげたのだ。完璧に彼らは慣れている。クレーンも使わず、どうやって押し出したのやら。いまでもわからない。子供たち「セニョール、修理工場まで運んで良いかい?」
そして、彼らのなじみの小さな町工場へ運んでくれた。ここは水害専門の修理工場のようだ。大雨で彼らは食べているのだ。
その日は、持ち金、800ドルをすべて渡し、一夜、工場で過ごした。
しかし完全にエンジンがやられ、そこでは直せなかった。
翌朝、ディーラーを呼んで、一段落。
今、思うと、彼らに殺されていても不思議はない。自動車泥棒が当たり前の国。私、は運が良かった。
この時、程、生かされていると思ったことはない。
人生をギターの為に捧げようと再度、認識した。
毎年、ブラジルは同じ時期に同じ地域で雨により家を失い、命を失う、悲劇が続いています。その度に、悲劇が報道され政府は今度こそ対処する。と嘘ぶいているのです。それでもカー二ヴァルは何事も無かったごとく盛大にやるのです。
下水道の不整備、ごみによるドブのつまり、産業廃棄物放棄による川底の上昇などが、すぐ洪水となる原因です。
以後、雨の日は、決して、帰りを急がなくなりました。