何故、ギターリサイタルで伴奏を聞かなきゃいけないの?
僕は、常にギタリスト諸氏に良い演奏をして頂きたいと期待し、素敵なプレイに出会うと幸せになるのです。
何故なら良い演奏家が増えれば業界発展に繋がり同業の私も最終的にその恩恵に授かるからです。
逆に悪い演奏家の増加は聴衆減少につながり、しいてはギター界のマイナスとなり我々の足を引っ張るのです
ジェラシーを満たして悦に入る様では自分の首を絞めている事と同じです。
ですから僕は決して、他人の欠点を再確認して 安心する類ではない事を明言しておきます。皆さん、良くご存知の由緒あるサロンコンサートのことです。
外タレでなかなか美形な女流ギタリストのコンサートを聞きました。客は二十数名というところ。ジュリアー二の二重奏から始まりました。
明らかにフルートが主役。ギターは、うやうやしく,延々と気品を持ってコード伴奏を担当。この演奏会に限らず,二重奏作品では、ほとんどギターは伴奏です。
やけにフルートの息が目立ちヒステリックだ。
我々、ギタリストのフィンガーノイズ同様、息の音も技量の目安?
なんだかピーピーと耳にうるさい。
私の教養のなさ故、こう感じるのでは?とあたりを見回すと、予約までしてわざわざ聞きに来た方達、眠っている。この状態こそが彼らにとって安らぎなのかな?
お仕事お疲れなんですよね。なんかみんな、かったるそう。
フルートのリサイタルならともかく、どうして。ギターリサイタルで 、もっともらしく、伴奏を、聞かなきゃならないの? 聴衆を愚弄しているみたい。
続く、現代曲もコップを使って、精神分裂の具現化。スコアを忠実に再現している行為には敬意を表します。しかし聴衆の私、個人としてああいった作曲家の自己満足には絶えられない。コップがなきゃ出来ないならギターの必然性は何なんだ?
作曲家自身「ブラボー」の連発。あたかも超名作のごとく.聴衆は日本人らしく暖かい拍手。
しかし、これでは、学芸会、カラオケの飲み会と同じではないか。
僕は少なくとも聴衆は、しらけていたと思う。もし感動なさっていらしたなら、謝罪すると同時にその方々を僕は理解できない。はっきり言って、異常な空間です。眠っていたくせに拍手の時、分かった様に賛辞に参加して悦に入る。演奏会に行ったと言う事実が大切なのでしょうか?ひょっとすると、この会はあるマニアサークルの私的会なのだろうか?聴衆のほとんどはフルート愛好家なのでは?そうだとすれば勝手にギターリサイタルと思って聞きに来た部外者は論外なのだろう。
私は、前半を拝聴して彼らの知的空間の妨げとならぬよう静かに失礼した。誰にも、他人の趣味嗜好を妨げる権利はないのだから。
その夜、私は何故か熱を出してしまった。
時折、アンサンブルをすれば大儀名文がたつと言わんばかりに
ギターリサイタルで、歌の伴奏とかを、披露したり、なさる方いらっしゃいますよね。プロならば逃げはやめようでは有りませんか。
お金を払って、わざわざギターを聞きに来て頂いた聴衆の為にも。
他のジャンル演奏家のリサイタルにゲストとして招聘される、以外は。
ピアノ・ソロリサイタルでヴァイオリン主役のチゴイネルワイゼンとか、オペラのアリアとかギター主役のアランフエスとか実際、聞いた事、有りませんよね。音楽祭は別として。